こんにちは。Azarashiです。
※2021年8月一部更新
今回はPart2から期間は空いてしまい、またAFSPの申請を先に記載してしまうなど、順番が前後してしまいました。(正直当方の選定したAviationにおいて、日本人受講者が少なすぎて、特定されそうな内容を記載するか否か迷っていたところもあります。)
Part2: https://aviationjpn.com/choicetheaviationschool2
まぁいいか
Aviationの担当者曰く、パイロット同士のコミュニティはとても重要とのこと。ここで少しでもみなさんと情報共有できるよう勤めようと思います。
選定先について
以前記載した通り、嫁さんVISA(配偶者)で申請するため、Part 141のAviation School(シラバスが確立)ではなく、Part61のAviationにて選定しました。
また、別理由として、Part 141のAviationもあったのですが、最初の印象(対応)が悪かったため、除外としました。(Part141 のAviation出あったとしても、M-1 VISAが発給出来ないと事もありますので、留学先選定にはご留意ください)
そんなこんなで、拘束条件としては家から30分程度で通えるAviation Schoolを探しました。アメリカはすごいですね。日本でいう自動車教習所と同じレベルでたくさんあります。
最終的に、丁寧な対応をしてくださった担当者のいたAnn Arborにある「Solo Aviation」に決定しました。(もうその担当者は退職してしまったみたいで悲しいです。。)
ただ、他担当者の方も丁寧な対応をしてくださり(私のトンデモ英語を頑張って聞いてくれる等)、現状大変満足しています。なお、担当者の対応以外には下記内容も加味しました。
<費用面>
・トレーニング費用がFuel込みであり、内容も明確な見積書を送っていただいた。(安価なのもありました)
・Depositとしてウン十万円、Cashもしくは小切手で支払いをすれば、Depositの金額次第で数%バックされる事
※他のサイトにも記載されていたので、試しに確認したところ、割引になるとのこと。他の業者は存じ上げないので、お問い合わせください。
<環境>
・インストラクターの情報がネットに顔出しして記載してあること。
インストラクターの対応が悪いとすぐに特定されて悪口を言われてしまうため、サービスに自信がない限りホームページに顔写真付きで記載しません。日本の教習所にも言えます。
・インストラクターはアジア人含め多種の人種を起用されていること。
生活している分には、あまり差別を感じたことはないですが、やはりアメリカですので、嫌な思いをするよりは。。。と考えました。
以上より、CPLまでSolo aviationでお世話になるつもりで現在調整中です。
〜
<追記>※2021年8月
PPLではAnn arbor の Solo aviation でお世話になりました。
IFRではPontiacの DCT aviation(PART141のプログラムあり Mー1ビザは発給不可)というところでお世話になっています。
各Aviationは一長一短ありますが、もしデトロイト周辺でフライトトレーニングをする場合には、まず実際に行ってから決めることをお勧めします。
なぜ途中で変更したかは此処に明記しませんが、IFRのトレーニングはストレスも少なく進んでおります。Pontiacにある大きな空港で、初日本人は私という状況ですが、外国人にも優しいとてもお勧めできるAviationです。
以上
あとがき
ついに会社を辞め3ヶ月経ちました。
サラリーマン当時は毎日朝5時起き〜22時帰宅をし、出世のため自己研鑽、お客様の信頼を得るため土日&時差関係なく働いていました。
そのまま勤め上げれば十分安定した生活水準で暮らせたかもしれません。
会社では尊敬できる方も多く、仕事内容も満足。またお客様にも恵まれ、自分で言うのも烏滸がましいですが、何不自由ない生活でした。
ただ、時々無性にやり切れない虚無感が沸き上がり、湯船で【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛(ゴポゴポゴポ)】と叫んだのは秘密です。
もしかしたら心の何処かで「このままで本当にいいのか?」と思っていたのかもしれません。
そんな中、嫁さんから「私、もっと大きなフィールドで戦いたい。と言うか戦わせろ。必ず勝つから。」と宣戦布告いただきました。
有難い事に、嫁さんの勤める会社も努力などを認めてくれ、海外赴任となりました。しかもアメリカに!
ん?アメリカ??ドイツや中国ではなくアメリカ!?
幼稚園の時から大学入学するまでパイロットを目指し、大学の機械工学科へ入学しましたが、途中挫折して燻っていた自分の気持ちが再び熱くなるのを感じました。
さてそこで人生の岐路に立たされた当時31歳。
1、単身赴任してもらい、数年後に戻ってきたら合流。安定した現状維持。
2、主夫として嫁さんについて行く。日本に戻ると35歳超え。パイロットになれなかった場合ちゃんとした会社に就職できるのかは不透明。周囲から3年も引き離されている。
これより就活以来の自己分析と、パイロットになれるかの妥当性を一度検証。ずーっと小難しく考えてましたが、最終的に「やらなきゃ人生絶対に後悔する!」との気持ちが勝り、挑戦者(別名:主夫 兼ボディーガード)の道を選びました。
もの凄くあやふやな内容ですが、昔々誰か?から「人生は玉乗りのようだ。安定するためには動き続かなければならない。立ち止まると不安定になる。」と聞いた?読んだ?記憶があり、それが未だ頭の片隅に残っていたのもあったので、新たなる挑戦が出来ることに、ワクワクしていたのもあったかもしれません。
(ちなみに嫁さんに言ったら「ジャイロ効果か何かか!」と言われました。それから私は「うん」とだけ言って閉口したのは言うまでもありません。)
話が逸れました。
そんな経緯もあって、渡米まで座学部分を先ず日本語で理解したのち、FAAのテスト勉強に取り組んでいました。渡米までにも紆余曲折ありましたが、無事に米国に到着することができました。(須永さんのHPやCFI JapanさんのHPにはとてもお世話になりました。ありがとうございます。)
しかしながら、実際に渡米し直面したのは、「AFSPの審査がなかなか進まない(訓練が出来ない)」「英語が早すぎで聞き取れず、説明したいことが上手く英語で出てこない」「友達がいない」という問題です。
審査が進まない(落ち込む)→外に出て買い物にいく(少し元気でる)→現地の方とちょっとした交流→俗語多過ぎ!早過ぎ!緊張して上手く返答できない!!(落ち込む)→懺悔する友達いない(落ち込む)→スズメに話しかける(元気でる)
の繰り返しでした。
海外出張で非英語圏(インド、タイ、台湾、中国、韓国など)でのビジネス英語では ”俺の英語が伝わるぜドヤァ”っていたのですが、本場の日常会話では”オゥ、オゥ、オゥ(オットセイ感)” しか出せずに悔し涙ばかり流しています。
まぁ実際にはものすごく元気一杯ですけどね。生きているという実感が湧きます。
執筆時点(2019年8月23日)はAFSPの承認も降り、あとはFirst Flightの予約待ちのため、幾分か気持ちは楽ではあります。
あとは交友関係と体力を増やすため、スポーツ(Close Quarters Battle Training(銃器を使用した近接戦闘訓練)やKrav Maga(イスラエルの近接戦闘術))を骨折しない程度でやってみようと思います。本業のボディガードでもあるので。
あとがきは以上です。なんか纏められていない内容を綴ってしまいました。長文乱文失礼しました。
結局何が言いたかったかというと、「夢への挑戦に歳は関係ない。本気であれば辛くとも頑張れる。」ということです。
参考にですが、先日自動車を購入した際に販売店の米国人店員さんから聞いた話を簡潔に纏めます。
「同僚は数年前、40歳の時から航空学校に昼12:00〜14:00まで通いはじめた。2年後AIR CANADAに就職し、現在はDeltaのPilotしているよ HAHAHA!だからお前も頑張れ!」
とのお言葉が。自動車販売員からエアラインへ転職をされたようです。勤務時間中にトレーニングしていたことや、国籍(就労権)については言及しませんでしたが、とても勇気や元気をいただきました。
因みに日本人のライセンス保有者にお話聞いたところ、パイロットになれるか否かは自分次第(Up to you)とのこと。諦めなかった人は、日系航空会社はダメでも海外に住み、パイロットになってらっしゃる方もいらっしゃるとのこと。
「日本では採用年齢が〜」とか、「海外でも就労権が〜」ではなく、全て自分の決断次第ということですね。
諦めなければ夢は叶う事。もし航空留学されている方、したいと思っている方いらっしゃいましたら一緒に頑張りましょう!
生きているだけで丸儲け。