こんにちは。夢見る主夫Azarashiです。ミシガン州の記事に続き、今回はデトロイト市について記載します。
デトロイトの歴史
Wikiの方が詳しく記載されていますので、概要をかいつまんで記載します。
1660年からフランス領となり、イギリスとフランスの戦争により1763年にイギリスの勝利によりミシガンもイギリス領となりました。
米国独立戦争(1775年-1783年)にて独立を果たすも、この条件で使用された協定文書の不明瞭な地図と記載文言によりイギリスが実効支配を続け、1800年代になってから米国の正式な実効支配となったとのこと。(一部wiki引用)
19世紀初頭 1805年にデトロイトは新しく創設されたミシガン準州の首都となりました。 その後1812年の米英戦争の勃発後すぐに、デトロイトは再びイギリスに降伏。しかし米国は1813年9月に直ぐに取り返し、1815年にデトロイトは都市として制定されました。
ミシガンは地理的にも重要な戦略拠点であり、争いが絶えなかったようです。
1818年に五大湖で最初の蒸気船がデトロイト⇄バッファロー(ニューヨーク州の西側に位置)間で運用を開始しました。
穀物やその他の農産物は、鉄道や川を使って市内に入ったのち、加工処理されて米国各地やヨーロッパに運ばれました。
アメリカ南北戦争(1861年 - 65年)が終結し、当時のの第一次産業からヘンリーフォードの登場で第二次産業(自動車産業)に移行しました。
世界の自動車産業都市の誕生です。
第一次世界大戦(1914年―18年)時には、軍用製品の製造にて産業は加速され、人口も増加しました。働き手として、特にアフリカ系アメリカ人が多く流入。
1943年には市内の白人と黒人の間で争いが起こり、その後の数十年間、人種的な緊張が問題となり続けました。この時期から始まったのが、白人のデトロイトからの脱出です。
1967年7月23日に警察が無許可の飲食店を摘発し、5日間の暴動により43人が死亡、約1,200人が負傷、略奪または火事で多くのものも破壊されました。
この頃より、白人の多くがデトロイト郊外への移動が加速。
1973年に転機として、デトロイトの最初のアフリカ系アメリカ人市長、コールマンヤング(5期着任)が当選。
1977年には都市の活性化のためルネッサンスセンターを建設しましたが、当時日本車が流入した事により、経済状況が悪化。失業者は増え社会的問題をもたらしました。
20世紀の最後の20年間、経済状況は回復せず、1990年代半ばまでに、その人口は1950年代のピークの半分まで減少しました。
前市長であるヤングの後継者デニスアーチャーが、都市再建をかけ郊外に目的地を作るため何百万ドルものお金が使われました。その一環でカジノ(カナダ国境デトロイト川にあるBelle isle) も合法化されました。しかしながら状況は好転せず 2013年に市が破産申請。
現在はトランプ政権になり内製化が加速。失業率も低下し経済も回復中。
因みに自動車部品を取り扱う日系企業も、郊外ではありますが増えてきています。特に日本人が多い地域はNoviという街で、買い物に行けば大抵日本人がいます。また居住地区によっては過半数以上が日本人のようです。
私の住んでいるアパート群にも日本人が多く、見かけるだけでも安心感があります。服装や雰囲気で日本人とわかってしまうのは何故でしょうか笑
また、各国の進出先している先(町)によって、中国人、インド人、台湾人などがまとまって生活している印象です。因みにNoviでよく見かけるのは、日本人とインド系の方です。
同族がいる安心感は、海外生活してみないと分からないものですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。